私が笑える家を大切に思うワケ。

母が2回目のワクチンを打った。

思うところは色々あるけれど、何の症状も出ていないし、これで自由に外を歩ける、と喜んでいるので、それでいいと思っている。

私の知識や価値観を押し付ける必要は、親子と言えどもないのだろう。

これは冷たいことなのかもしれないけれど、

私としては、母が一番いいと思うことをやって生きているのが一番良いことだと思っているから、それでいい、と納得している。


そんな今、私はもうすぐ笑家村(しょうかそん)プランニング(しょうかそん)という、ものを立ち上げようとしている。


ドウシテコウナッタ?


家の中にいながら、週末以外に顔を合わすことない父と子。

同じ寝室にに寝ながら、会話すらない夫婦。

同じ家に住みながら、食事の時にしか会話のない母と子。

一緒に住みながら、いつ寝たかもわからない年老いた親。


ドウシテコウナッタのだろう?


近くの親戚より遠くの他人とはよく言うけれど、

一緒に住む意味ってどこにあるの?

そして核家族化という分離分離の繰り返しで、

狭い都市にはどんどん高層マンションが建っていく。

広い地方の田舎は、どんどん、誰も住んでいない家がどんどん増えていく。

人口が減少しているこの日本に、今更何百世帯も入るビッグタワーマンションを建てる必要がどこにあるのか?

どんどん過疎化していく地方の家は、ツルが、雑草が生え、朽ちて落ち、氣が乱れていく場所が増えているのに。

 

始めから余っていくとわかるような、食べもしないものをなぜ作る?

初めから壊れて捨てるとわかっているような安いものを、なぜたくさん作る?

 

私たちは何を大切にしているのだろう?

消費?

分離?

そんなものを繰り返すために、この美しき地球に本当に生まれてきたのだろうか?


愛されていた私が思い出したこと


私は幼い頃、父と母に大切に育ててもらった。

欲しかった愛情の受け取り方はできなかったのかもしれなかったけれど、

家族は私にとって、とても大切なものだった。


物心ついたときは、父と母はいつも喧嘩をしていた。

というか、一方的に母が我慢をしていたというのがいいかもしれない。

陰でいつも泣いている母を見るのが嫌だった。

でも、私は父と一緒に並んで撮られている写真がたくさんある。

そう。これは母が撮影しているのです。

今から50年も前に、カメラを持って撮影をする母。

それもたくさんある。

母はクリエイティブな才能のある人なので、多分写真を撮るのは好きだったのだろう。


もちろん、私と母の写真もたくさんあるけれど、このファインダー越しの父と母は私に何を思って撮影してくれているのか、想像するだけでも心がジーンと温かくなる。


愛されたい愛され方じゃなかったかもしれないけれど、若い夫婦だった2人は、私を、私たち子供を懸命に愛してくれたのだろう。




家の中で笑って暮らしている家族(人)が1人でも、1組でも多くなるような社会であってほしい


いろんな経験をし、苦しみを経た私の年齢になるからこそ、乗り越えられたものも確かにある。


だけど、あの苦い経験は、必ず次の人の何かの役に立つからこその経験なのだろう。


そう思ったとき、不仲な父と母。

未熟だった親を持つ繊細な子供との関係性。


その謎解きをずっとやってきた私が最後にたどり着いたのは【愛の感じる家(家庭)】だった。


愛する人ができ、それでも喧嘩や、討論、価値観の違いなどもある「自分とは違う存在」と一緒に住むということの難しさ。


だけど、その何倍もある「自分とは違う存在」と一緒に暮らす豊かさと愛情の循環。


これを私は知ってしまった。


だからこそ、家に帰って、

「ただいま。」「おかえり。」

これを言い合える人がいる安堵感をみんなに持ってもらいたいのです。


そこには【家】があるのです。


「ただいま」とは「ただ、今にいる」という奥の深い言葉。

そして、「おかえり」とは「よく、『いま』に帰ってきたね。」という尊い想いがこもった深い言葉。


ただいま、おかえり、行ってきます、これを言い合える場所、言い合える環境、言い合える関係性。。。


それは『家族』なんだと思う。



もう一度戻る。何のための家なのか?家族とは何なのか?


消費を循環に切り替える時がきた。

分離を融合に移す時がきた。


16歳から建築を学び、20年建築業に携わり、

建築の楽しさや尊さや醍醐味も知っている。


しかし、近年の建築には疑問に思うことが多すぎる。


植樹しすぎて崩れゆく使われなくなった杉の木が有り余るのに、今の建築の資材(材木)は90%ものものが輸入材だ。

なぜ、日本のあるものを使わない?


コンクリートやアスファルトで覆われた土地は、降った雨の逃げ場がなくなり、

都会で起きるゲリラ豪雨の際の浸水は予想されるものであるのに、まだコンクリートやアスファルトを使う。


10年も経てば塗り替える外壁、

20年も持たない屋根材、

接着剤の揮発による健康被害があるのに使われるビニールクロスやビニールの床材などなど、

一生涯かかっても払えるかどうかわからないローンを組んで建てる家。


ローンのおかげで休むこともできない。

仕事を減らすことが怖い。

家にいる時間が減り、家族との対話や思い出も減る。


何のための家なの?

何のために作った家なの?


もう、既成概念を書き換えない限り、元に戻らなくなりそうな【家族とのあり方】。

 

 

私は、父が1人で死んでいった時、当たり前だけれど、命は明日もあるとは限らないものだと悟った。


その自分の命を何のために使っているのか?ちゃんと理解して生きて欲しい。


お金のために働くのではなく、喜びのために働いていることを思い出して欲しい。


そのための思い出す場所を作ること。


思い出すことを支援すること。


それが、私の最後の仕事。

笑家村プランニング。


父も母も笑っている家。

もちろん、そんな両親を見て、安心して私も笑っている場所。


家は、建てるだけが全てではない。


家は『暮らす人があってこそ』の家なのだと、本当に思い出して欲しい。


そのためには働き方を見直す。

そのためにはあり方も見直す。

そのためには価値観も見直す。

そのためには既成概念を疑っていく。


家×精神×体験(氣付いて思い出す)=ファンキーなお祭り好きの私ができること


それが笑家村プランニング。

笑家村プロジェクト

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