オトコもオンナもアタマをつかいすぎることなかれ

私は小さい頃、心臓弁膜症を患い、身体を使い外で遊ぶことはほとんど無い子供でした。

走り回れず、飛び跳ねてもすぐに苦しくなるので、この活発な資質の私が、

走ることを止められ、

長時間のプールや野外活動は制限されて育ってきたんです。


当然、筋肉はつかず、基礎体力も低下。

しょっちゅう高熱を出しては寝込むような病弱な子でした。

大好きなおじいちゃんが死んだ歳、
奇跡としかいいようのないことが起きました。
心臓弁膜症の定期検査に、何の異常も【突然】見られなくなったのです!

医師たちは不思議がっていて、何度も心電図を撮られたのを覚えています。

12歳の夏。

13歳からふある日突然、
「普通に運動していい」と言われても、同級生たちのように身体はできていない…。

だから、体育の時間、アタマで身体の使い方を一所懸命学ぼうとした中学生の頃の私。

イメージでは誰よりも早く走っているつもりが、足はもつれ、誰よりも遅い50m走。

悔しくて泣きました。


プールで泳いで、息継ぎしたいだけなのに、息継ぎしたら沈む身体。

情けなくて落ち込みました。


頭の中で思い描くイメージとは程遠い、
リアルな自分の身体の重さ、スピード…

これが嫌でたまりませんでした。


体育の成績はいつも2〜3。

走りが早い子が羨ましく、小さい頃からやっていれば、本当は私だってできたのに!

そんな風にいつも拗ねていたものです。


でも、身体が弱かったお陰で、
私は、たくさん家での時間はあったのです。

その時間で、私は誰よりもたくさんの本を読み、
特に国語と社会の勉強が好きになっていきました。

漢字も人より早くたくさん覚えられたし、
小学生のときは中学生推奨の本、
中学生のときは高校生以上の大人が読む本…などを読んでいたために、
社会情勢や歴史的背景などを同年代の子達よりも知っていました。

そう。学校の図書カードにはどの本にも私の名前が書かれるほど読みふけったのです。

なので?私はアタマは悪くなかったのです。

だから「アタマが良いこと【しか】取り柄ではない」。
そんな風に自分を思うようになっていたようです。

勉強を頑張りました。

でも、算数(数学)は本当に苦手で、
それで、天才でもなければ、知能指数がずば抜けているわけでもないことがわかりました。

そんな思春期の私は、ゆっくりと【無価値観】を植え付けたいってたようですね。

大人になったとき、無価値観の根源になる【頭の回転の速さ】が、

【本当の私】から遠ざけて行ってしまっていたこと

に氣がつくことになるのです。
 

五感で感じることから遠ざかり、
アタマで判断(ジャッジ)して分析ばかりしていたことで、
自分自身をもいっぱい、いっぱいジャッジしていた…ということに氣がつくのです。

そうか。
そうだよね。

ただ楽しい

ただ面白い

ただ息苦しい

ただ、ただ、感じるだけでよかったんだ…!

五感をしっかり使うコツを掴み、
それを集中してやっていると、知らずのうちに瞑想状態に入っていました。


そんなことを毎日続けていると、

直感が冴え、
見えにくかったビジョンと内なる声・メッセージがどんどん聞こえてくるようになってきたのです。

すると、今度は大自然に触れたくなるのです。
海でも、
山でも、
川でも、
草地でも…

裸足で立ち、
素手で触り、
時には大地や木々に抱きつき、
背中や腹…
全身で感じ切りたくなる。
これが私だ!
自然に触れていくことで、
アタマを使うことなく、

身体で感じられるようになるのです。


あれだけ、長年ずっと持っていたイメージと身体の重さとのギャップが、

どんどん、どんどんすり減っていくのです。

これが私だ。

この肉体が私。
この感じている感覚が私。

この触れている大自然そのものが私。

 
鳥の声が
草の擦れ合う音が
風のせせらぎの柔らかさが
木々や草花の香りが
どんどんと研ぎ澄まされる。

これが私だ。


アタマを使い、
足らないものを追いかけて、
自分や人をジャッジし評価し、傷つける。

そんなものはここにはない。

ただあるのは…

感覚とその先にあるなにか…。

この感覚や何かを感じ取れたとき、
過去の自分を俯瞰できて
赦しが起きる…。

だから、自然とともに生きたい。

そう思うようになってきたのです。

暮らしに自然と共存する時間、場所を持ちたい。

それが私の場合は旅だったのです。

旅を暮らしにしよう!

そう決めた私たち夫婦は、ある行動に移すのです。

それが限界集落に移り住むという選択。

小さな山の麓に建つ家を見つけ出し、
目の前には清か水の小川があり、
田畑の広がる西土佐で暮らしの拠点を置くという選択。

ここには自然しかない。

自然とともに生きる自然体な人が多く暮らしている。

新しい自然と共存する生き方。

老後というフェーズでもない私たちが、この場所で旅をしながら生きていくための軸足になる拠点。

それが西土佐。

この家を西土佐笑家(しょうか)と名づけ
ここで、私たちの生き方をきらめかせて行きます!






0コメント

  • 1000 / 1000